Meets ACCRETECH User’s Voice - 株式会社岡本工作機械製作所 - 東京精密

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vol.03 - 株式会社岡本工作機械製作所

1926年、創業者の岡本覚三郎によって岡本専用工作機械製作所としてスタート。その後、1935年に現在の岡本工作機械製作所に組織及び社名を変更し、国内初の平面研削盤の開発や世界初のCNC平面・成形研削盤を開発するなど世界で活躍しています。研削盤・半導体関連装置・歯車・鋳物など多岐に渡る事業を持つ、世界唯一の総合砥粒加工機メーカーです。

モノづくりの未来を切り開いてきた男達が、今を語らう。
episode 01

入社までの経緯

吉田 石井社長はどのような経緯で御社に入社されましたか?
石井 私は成蹊大学で経済学部経営学科に在籍していました。中学以来熱を注いでいた卓球に、大学でも熱中してましたね。神奈川県小田原市の出身で、実家から通勤したかったので当社に入社しました。経済学部でしたので、経理部に配属されました。
入社後、4年間経理部で働いていましたが、26歳の時結婚し、その後半年ほどしてファイナンシャルマネージャーとしてシンガポールに赴任しました。実は赴任先のシンガポールでも日本人の卓球クラブに入るほど卓球命だったんですよ。

  • 株式会社岡本工作機械製作所
  • 代表取締役
  • 石井 常路
  • 1979年 成蹊大学 経済学部卒業
  • 1979年 (株)岡本工作機械製作所 入社
  • 2003年  OKAMOTO(THAI)CO.,LTD 取締役社長
  • 2014年 (株)岡本工作機械製作所 代表取締役社長(現任)
  • 2018年 NDマーケティング大賞受賞
episode 02

海外赴任先での仕事について

吉田 海外にはどのくらい赴任されていたのですか?
石井 シンガポールに3年半ほど赴任していました。その後半年ほど日本に帰っていましたが、すぐに今度はタイへの赴任が決まりました。確か30歳ぐらいのころですね。当時は第一次タイ進出ブームで、タイの人気が出始めた本当に最初のころでした。
タイへの赴任の目的は、工場を造ることでした。当社は1974年にシンガポールに工場を建て、平面研削盤を造っていました。ですが80年代前半になるとシンガポールで労働者が雇えなくなるということと、鋳物も手に入らなくなるという理由から、近隣にお助け工場を作ることになり、タイに白羽の矢が立ったのです。
吉田 かなり早い時期にタイに行かれたのですね。弊社がタイに進出した時は、自動車メーカーなどのお客様が進出した後で日本社メーカーが多く、タイは海外というより日本国内の延長という印象でした。ですが石井社長がタイに行かれた当時は、タイに工業団地は少なかったと記憶しています。そんな中で工場を設立するというのは、とてもご苦労されたのではないですか?
石井 ええ、とても苦労しました。特に大変だったのは、建設開始直前に土地を変更したことです。法律が変わり、当初建設を予定していた土地のタックスインセンティブに変更が出たことが要因です。そうして紆余曲折があり、アユタヤの民有地に工場を建てることが決まりました。今でこそアユタヤには工業団地がたくさんありますが、当時はありませんでした。
土地が決まった後も、結構苦労しましたね。なにしろ申請することが多く、3カ月ほどかかりました。申請の説明や進捗状況を聞くために毎日電話をかけていました。
またそういった申請と並行して工場の建設も始まり、工場の従業員として40人ほど雇いました。シンガポールに導入しているものと全く同じ機械をタイにも導入したので、彼らには、シンガポールにトレーニングを受けに行ってもらいました。当初は工場を建てた目的通り、シンガポールのお助け工場として稼働していましたが、1990年にタイにも鋳物工場を建設したこともあり、タイでも完成品を造るようになりました。今では、台数ベースで言えば7割ほどをタイで生産しています。また、従業員も900人近くにまで増えました。
最初の4年程は、日本人は私一人でしたので頼る人もおらず、けれど達成しなければならない仕事だったので最後まで頑張り貫きました。これは私の座右の銘でもありますが、「為せば成る」ということを非常に実感しましたね。一生懸命にやっていればできるものだなと思いました。もちろん、私一人だけの力ではなく、色々と助けは借りました。タイに行く前は経理部で、機械を売ったことがなかったため、いきなり現場に出て引き合いがきてもどういった付属品があるかなど分かりませんでした。そういう時は営業担当の社員に電話して助けてもらいました。そのあとお客様に機械の説明をしたんですが、営業のノウハウも知らなかったため、なかなか難しかったです。けれどなんとか売ることができました。
吉田 そうでしたか。石井社長が日本の工作機械をタイに広める先駆けとなったんですね。

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episode 03

弊社とのかかわりのきっかけ

石井 御社とのかかわりは、自動計測機器であるマシンコントロールゲージ・パルコムΣを導入したことがきっかけです。その後、汎用測定機器である三次元座標測定機、真円度・円筒形状測定機、表面粗さ・輪郭形状測定機、というふうに付き合いが広がっていきました。
吉田 そうでしたね。弊社でも、御社の平面研削盤にはとてもお世話になっています。八王子工場や土浦工場はもちろん、タイのブレード工場でも御社の製品には大変お世話になっております。

  • 株式会社東京精密
  • 代表取締役社長CEO
  • 吉田 均
  • 1983年 明治大学工学部電子通信工学科 卒業
  • 1983年 (株)東京精密 入社
  • 2010年 日本精密測定機器工業会 会長就任
  • 2015年 代表取締役CEO就任(現任)
  • 2016年 NDマーケティング大賞受賞
episode 04

社是「技術は正しく」について

吉田 弊社では、わが社とかかわる全てのステークホルダーとWIN-WINな関係を築くことを目指す、”WIN-WINRE
LATIONSHIP”というMOTTOを掲げています。御社にも、「技術は正しく」という社是があると伺いました。これは、どのような言葉なのでしょうか?
石井 社是「技術は正しく」は、昭和39年にできたものです。創業者の岡本覚三郎氏の言葉で、戦時中も、業績が落ち込んで逆境の時も、正しい技術を求めて節をまげなかった岡本覚三郎氏の精神がその後も社内で受け継がれ、社是となりました。「技術は正しく」の技術とは、単に設計技術や生産技術に限らず、もっと広義に、我々が仕事を遂行する上で必要とされる専門知識や技能、販売技術をも含んでいます。また、それを正しくとは、仕事を遂行するためには専門的な知識、技術、技能を正しく身につけることが必要であるので、そのための研究や勉強を怠らず 仕事に対しては常に真摯に取り組み、ごまかしがあってはならないということです。
しかしこの「技術」という面に関して、今まで技術を口で伝えてきたため、今後の伝承をどうしていくのかということが大きな課題となっています。今でも現場で「触って」良品かどうかを判断する所もありますし、こうした人間の感覚を定量化できればいいなと思います。
吉田 そうですね。そういう、いわゆる匠の技というものを感覚だけでなく数値で定量化できれば、匠が造ったものと同じものを機械で量産できるようになりますし、伝承も楽になりそうですね。

episode 05

顧客満足度を上げるために

吉田 御社は、顧客満足の向上を目的としてどのようなことに取り組んでいますか?弊社では、ショールームの拡充に加えて、計測センターという施設を八王子・土浦の両工場と、大阪・名古屋の拠点に構えています。マシンをただ並べるだけではなく、お客様のニーズを聞き出しながら、きっちりと測定提案ができ、技術的にサポートができる体制を作りたい、という思いで建設しました。
石井 当社では、近年営業所にも機械を置くようになりました。シンガポールやタイなど、工場があるところにはもちろん機械を置いてありますし、シカゴやヨーロッパなどにもショールームを構えています。ただカタログを見せるだけよりも、実際に機械を見て、研削して機械の質が良いところを見せなければいけないと思ったからです。日本の機械の様に、付加価値の高い機械を売っていくためには、ショールームなどの施設も充実させなければなりません。そしてショールームでお客様から聞いたことを吸い上げ、フィードバックしていく形をとっていきたいですね。
吉田 やはり実際に現場で信頼性のある結果が出せるかが重要ですよね。シェアを確立するためには顧客満足度は重要ですし、海外のシェアを広げていくために、弊社では日本と同じ質のサービスを海外でも展開していきたいと思っています。
石井 そうですね。日本と海外は、文化や考え方が違っていることが多々あるので全く同じサービスを、というわけではないですが、海外でも質の良いサービスができたらと考えています。当社の海外販売はディーラーによるもので、ディーラーにしてもらうサービスも多いため、日本と全く同じサービスをすることが難しく、海外のサービスが一歩遅れているというのが現状です。今後、海外に日本と同じ付加価値の高い機械を売っていくために、今色々と準備している最中です。

episode 06

未来について

吉田 最近は、IoTやAI、自動化などが注目されていますが、御社ではどのような取り組みをされていますか?
石井 主に、工場の見える化などを進めています。稼働率をどうあげていくかに取り組んでいますが、IoTやAIは近年取り組み始めたばかりです。機械がどうあるべきか、ということを考え、少しずつ変わってきています。 例えば、故障の予防保全のAIソフトウェアを開発するために、当社の研削盤で「こういう振動が出てこういう熱が出たら危ない」というデータを集めている最中です。そういった事象が発生する原因の分析まではまだ着手していませんが、とにかくデータを集めないことには始まらないので、ひたすらにデータを集めています。当社は研削盤を非常に多く出荷しており、その分多くの故障を経験しています。その強みをデータ収集に活かしています。
吉田 弊社でもTESCHART PlusやZEISSのPiWebといった、異なる複数の測定機データを一つのデータベースに収集・蓄積して一元管理できるソフトを開発しました。これにより、傾向分析や検査成績書の作成が簡単にできるなど、自動化や省人化の対応を進めています。生産全体の効率をどう上げていくか、どう精度を高めていくかというときに、測定機が生産ラインの中に入ってきて、生産財の一つとなってきます。そして測定機抜きでモノがつくれないとなると、よりいっそう測定機のニーズが高まっていく。 測定機のかたちを流れに合わせて変えていけたら、ニーズがより高まっていくのかな、と考えています。今後、こんな機器を開発して欲しいなど、弊社に期待していることはありますか?
石井 非接触など色々なものがあると思いますが、お客様の現場で簡単にある程度の精度のものが測れる測定機が欲しいですね。研削した後に一度ワークを外して精度を測定し、足りなければまた研削する、というのは手間もかかるし、再び研削する際に最初と全く同じセッティングをするのは難しい部分があります。そのため、当社では机上測定という、研削が終わったときにワークを入れたまま測定し、ターゲットとした研削結果が出ているかどうかを確かめて、ずれていたら再度研削するという方法を採っています。そういうプロセスをもっと進化させて簡単にしていけるような機器を是非開発して欲しいですね。
吉田 現場計測系の機器ですね。工作機械としては、いかに不良品を作らないかが大事ですし、現場ですぐに測れるというのは重要なことですよね。
石井 また、今まで人間の感覚でしか測れなかったものを定量化することも大事だと思っています。電波が目で見られるようになるとか。先ほど社是の話をする際にもお話ししましたが、人間の感覚を数値で定量化できれば、当社の技術技能の伝承課題も解決できますし、そういった測定機があれば本当に便利だなと思います。
吉田 そうですね。将来さらに社会に貢献していくためにも、そういった製品を開発していけるよう、全力を尽くします。

株式会社岡本工作機械製作所

1926年、創業者の岡本覚三郎によって岡本専用工作機械製作所としてスタート。その後、1935年に現在の岡本工作機械製作所に組織及び社名を変更し、国内初の平面研削盤の開発や世界初のCNC平面・成形研削盤を開発するなど世界で活躍している。研削盤・半導体関連装置・歯車・鋳物など多岐に渡る事業を持つ、世界唯一の総合砥粒加工機メーカー。

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